はじめまして。
TZ(てぃじー)といいます。
英語講師をしています。
『職業:英語講師』と言うと、
昔から英語が得意だったようによく思われるのですが、
実は本当に、昔は英語が苦手でした。
今でも覚えているのですが、
高校3年生の冬に受けた模試で
英語の偏差値は40くらいでした。(TOEIC300点くらいのレベルです)
一般の高校生のTOEIC平均が400点くらいなので
大学受験を目前にしていた僕の英語力がいかに低かったかお分かりい頂けると思います。
現に、英語にかなり苦手意識を持っていました。
そんな英語が嫌いで苦手だった僕が
どのようにして英語講師が出来るくらい英語が得意になったかを
今からお話したいと思います。
少し長いですが、
よかったらお付き合い下さい。
ー 目次 ー
◆ 1 . 学生時代の悲惨な英語力
◆ 2 . 英語に興味をもったキッカケ
◆ 3 . 悲劇のアイルランド でのホームステイ
◆ 4 . 英語のコツが分かった、オーストラリアでの貴重な出会い
◆ 5 . 日本で英語漬けの日々
◆ 6 . 英語ができるようになって思ったこと
それでは、どうぞお楽しみください!
1 . 学生時代の悲惨な英語力
まず始めに、
さっきも言ったように、
昔の僕は、英語がとても苦手でした。
別に勉強をサボっていた訳ではありませんでした。
むしろ真面目な方だったので一生懸命勉強していました。
それでも高校生の時に
英語で偏差値50(平均)の壁を超えることありませんでした。
大学は、理系の学部に入りました。
大学に入ってからも英語の授業があったのですが、
相変わらず苦手でした。
ネイティブの先生による
英会話の授業もあったのですが、
何を言っているのかサッパリでした。
とても苦痛でしたね。
単位を落としたらどうしようと、
いつも不安を感じながら授業を受けていました。
2 . 英語に興味をもったキッカケ
そんな英語嫌いな僕でしたが、
ある日、ちょっとしたキッカケで海外に興味を持ちました。
仲の良かった友人が、
夏休みを利用して1カ月程の短期留学に行ったんです。
普段は大人しいその友人がが、
帰国後に
「本当に行ってよかった。世界観広がった!」
と目を輝かせて言っていたんですよ。
それを聞いて、
思っていたよりつまらない大学ライフと
わくわくした楽しさに飢えていた僕は、
「俺も海外に行ったら良い事あるかも!」
と漠然と思ったのです。
今思い返せば凄い単純で浅はかだった19歳の夏の出来事です。
3 . 悲劇のアイルランド でのホームステイ
それからバイトしてお金を貯めて、
大学1年生の春休みに
英語は全く話せませんでしたが
僕は生まれて初めて海外に行きました。
アイルランドで2週間のホームステイしながら
語学学校に通うプランでした。
「英語なんて分からなくてもジェスチャーとかで何とかなるだろ!」
と強気でした。
が、、
完全に甘かったです。
まず、ホームステイ先の人が何を言っているか
さっぱり分かりませんでした。
ハロー、ハウアーユー?
くらいまでいけるのですが
その後はもう無理でしたね。
現地の語学学校に通う予定だったんですが
ホストファミリーとコミュニケーションが全く取れませんでした。
まず困ったのが、
語学学校への行き方が分からなかったことです。
分かったのはバスに乗らないといけないことと、
バス停の場所だけ。
「これはまずいぞ。
どっちの方向のバスに乗ったらいいかも分からないぞ。」
という状況です。
その日の朝は、凍てつくような寒さでした。
見知らぬヨーロッパの住宅地のバス停で
散々迷った挙句、
僕は、人が多い方角のバスに乗ることにしました。
バスが走り出しました。
停留所につくたびに、
人がどんどん降りていきます。
30分くらい経ったでしょうか。
満員だったバスには、
もう数人しか乗っていませんでした。
そして、次のバス停に着くと、
ついに僕以外、
皆バスから降りてしまいました。
どうやらここが終点のようです。
自分が反対方向のバスに乗ってしまったことに
ようやく気付いたのでした。
冬の極寒のアイルランドの郊外で迷子。
そこから学校のパンフレットを見せたりしながら
自力で学校に行けたのですが、
20分ほどで着くはずの語学学校に4時間かかりました。
必死の思いで到着した語学学校では、
もちろん一番下のレベルのクラスに入れられました。
授業も、ほとんど何も聞き取れません。
先生が「金!金!」と言っているのが
10回ほど聴いてようやくkingだということに気がつきました。
「山田!山田!」と言っているのが、
10回ほど聴いてようやくyour motherだということに気がつきました。
町に出て、店でサンドイッチを注文しても、
もちろん全く通じず、
欲しかった物と全く違うものを手渡されて
サンキューと言って、悔しい思いで受けとりました。
英語が出来なくて非常に辛く悔しかったです。
ただ人生初めての海外。
自分の全く知らなかった世界がそこにあり、
全てのことが新鮮で本当に革新的な経験でした。
友人の言っていたことは本当でした。
辛いことは多かったのですが、
少しばかりの楽しさを感じました。
4 . 英語のコツが分かった、オーストラリアでの貴重な出会い
(人生が大きく変わる出会いがありました)
アイルランドから帰国後、
大学2年生になった僕は、
大学が主催するオーストラリア語学研修を見つけました。
アイルランドの悔しかった思いもあり、
リベンジと言ったら大袈裟ですが、
これに参加することにしました。
豪州に1ヶ月ホームステイしながら語学学校に通うプログラムです。
結論から言うと
これが、英語が苦手だった僕を大きく変えてくれたきっかけになったのですが…。
オーストラリアでのホームステイ先は、
5歳と3歳の子どもがいるとても素敵な家族でした。
もちろんこの時も英語は全然話せませんでした。
なんとかカタコトで単純な意思疎通をしながら毎日やり過ごしていました。
そんな感じで1週間程経ったある日、
ホームステイ先に僕よりも1歳年上の
21歳のケンさんという日本人の男の子がやってきました。
ケンさんは、俳優志望で、
俳優コースのあるオーストラリアの大学に入学するために、
こっちにやってきたようです。
とてもオーラがあって、
自信に満ち溢れていて
見た瞬間に「この人は凄い人だ」と直感で感じました。(後に彼はハリウッド俳優になります)
彼の英語は、
現地のオーストラリア人かと勘違いしてしまうほど上手でした。
そんな彼と2週間程、
たまたまホームステイ先が一緒でした。
ケンさんは、僕が英語を勉強するためにオーストラリアに来ていることを知って
僕のために日本語を一切話さずに、
英語だけで会話をしてくれました。
本当に一切の日本語も無しです。
最初は彼が何を言っているか全く理解出来ませんでしたが、
彼は絶対にあきらめずに一生懸命英語オンリーで話してくれました。
たとえ僕が知らない単語があっても、
彼は決して日本語を使いませんでした。
「もう分からん!」
と僕が日本語を使って諦めても
知らない単語を違う言い方にしたり、
簡単な図を書いたりして
英語だけで話してくれました。
よくあれだけ諦めずに英語だけで僕に話してくれたなあと
今思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。
ケンさんと英語だけで話していると
なるほど!と思うことがたくさんありました。
それらは全て、
英語を英語のままで、感覚で
理解したものでした。
「英語は勉強してはいけない。楽しんで使いまくれ!」
「考え事も全て英語でして、何もかも英語にしろ!
一定期間、頭の中に一言も日本語を入れないようにして、
英語を楽しんで使いまくれ!」
と彼は教えくれました。
もちろん英語で言ってくれてたんですよ?
それでですね、
そんな彼を見ていたら、
はっきりと見えたんですよ!
あっ、そうやったら英語が話せるようになるんだ!って。
その道筋がはっきり見えたんです!
いきなり漠然としたことを言ったので、
どういうことだと思われたかもしれませんが、
僕が見えたと感じたことを具体的に言うと
ようは、
頭の中に一切の日本語を入れずに
英語だけの状態にするんですね。
話す書く聴く読むは全て英語。
もちろん、考え事まで英語でします。
この【考え事も英語でする】というのは
非常に重要なポイントです。
そして、
その状態をある程度の時間キープします。
「そんなの大変じゃん!」って思うかもしれませんが、
その通りで、最初は大変です。
めちゃくちゃ大変です。
でもそんな時でも
「It’s hard.」って頭の中で言うんですよ。
それを頑張ってずっと続けていると、
だんだんその状態が楽になってくるんですね。
僕は、彼の教えの通り、
“楽しん”でこれを実践することにしました。
英語漬けっていうのは最初が一番キツイですからね。
やっぱり楽しいと思えないと絶対に続かないです。
『楽しい』ってすごく大事なファクターだと思います。
ちなみに僕が英語漬けを最初に始めたのはオーストラリアだったので、
自分が日本語を使わない限り、
常に英語漬けの状態がキープできました。
するですね、
頭の中で英語を使っていると、
だんだん英語を話し出す時のスピードが速くなってきたんですよ。
今までは頭の中では日本語で考えていたので
【 聞く⇒ 頭の中 ⇒ 話す 】が
【 英語 ⇒ 日本語 ⇒ 英語 】だったのが
【 英語 ⇒ 英語 ⇒ 英語 】になったので
めちゃくちゃ速くなったのです。
おぉ!これは凄いぞ!と思い、
余計にやる気が出ました。
分からない単語があっても、
辞書は絶対に和英ではなく、英英を使いました。
寝る前には、
その日の出来事を英語で考えながら振り返りました。
そしたら夢の中でも英語を話していました。
この時は本当に周りの人などにも恵まれて、
楽しみながら英語漬けの状態をある程度キープすることが出来ました。
そして、1ヶ月のオーストラリアでの研修が終わる頃、
行く前よりも明らかに話せるようになっている感じがしました。
5. 日本で英語漬けの日々
そんな素晴らしいオーストラリアでしたが、
しかし、ただ一つ心配なことがありました。
それは
日本に帰国したら、
また日本語漬けになってしまって
せっかく覚えた英語を忘れてしまうんじゃないか
ということです。
それが非常に怖かった僕は、
帰国して次の日、すぐに英会話スクールに入学しました。
英会話スクールのレッスン料は
当時の大学生だった僕にとっては超大金でした。
でもまぁ実家暮らしだったので、
バイトでコツコツ貯めていた貯金額がちょうどレッスン料を払えるくらいあったので、
思い切って入学することにしました。
今思えば、とても正しい選択でした。
やはり自己投資には惜しんではいけませんね。
そこからも僕はオーストラリアで出会った彼のアドバイス通りに
英語を勉強するのではなく
英語を楽しんで使いまくって、
考え事も英語でしまくりました。
文法も感覚で理解するようにしました。
英会話のレッスンが始まる前は
英語で考え事をして、ウォーミングアップ。
授業中のメモも全て英語でとりました。
大学通学時には英語の本を楽しみ、
帰宅後は海外ドラマのDVDを英語字幕で楽しんで観まくりました。
そんな生活を続けて約1年。
300点そこそこだった僕のTOEICのスコアは700点までUPしました。
大学内でも留学生の友人も何人か出来るようになりました。
英語で洋画の内容もある程度理解できるようになりました。
6 . 英語ができるようになって思ったこと(最後です)
英語が出来るようになったことで
日本以外のたくさんの価値観に触れ
僕の人生観は大きく変わりました。
それと同時に
今まで自分が受けてきた日本の英語教育って一体何だったんだと思いました。
はっきり言って、中高6年間勉強してほとんど役に立たなかった気がしました。
学校で習う英語と実際にネイティブが話す英語が違いすぎる!
日本の英語教育について考えると、だんだん腹が立ちました。
その一方で
こんな僕でもある程度英語ができるようになったんだから
他の人が出来ないハズがない。
自分の知っている英語を上達させる知識を
他の人に教えたいと思うようになりました。
そして今こうして英語を教えることを中心に仕事をしています。
多くの人たちに
「英語が好きになった」
「英語の楽しさを知った」
と言ってもらえ、とても嬉しく思っています。
昔の僕と同じような英語が苦手な状況にいる方が、
この講座で少しでも英語が得意になって頂ければ
それほど嬉しいことはありません。
そして最後に、
日本という国は、本当に素晴らしい国だと思います。
しかし、一方で
日本という国は、社会的なプレッシャーが強く、
自分の夢を追い求めたり、
自由に自分の人生を生きるのが難しい国だとも
海外の文化に触れる中で強く思います。
英語を話して、
世界の色々な文化に触れると、
自分の中で、
日本文化の良い部分と、
海外の価値観が統合されて、
日本語だけを話していたら想像も出来ないような、
全く新しい価値観が創造されていきます。
そして、
今まで見えなかった人生の選択肢が見えるようになり、
より一層、
自分が本当にやりたいことが出来る、
より自由なライフスタイルを歩みやすくなるように感じます。
僕自身も、日本に閉じこもっていたら、
こんなオンラインの英語講座なんて、
絶対にやっていなかったです。
オーストラリアでケンさんが僕に英語を教えてくれたように、
このサイトが、
英語を通して一人でも多くの方の、
新たな価値観を創造するキッカケになればと願っています。
長々と書いてしまいましたが、
ここまで読んで下さり本当にありがとうございます。
ではでは!